基礎は面白くないけど、基礎で面白くなる
基礎は面白くないけど、基礎で面白くなる
「基礎」とか「基本」って全然面白くないんですよね・・・。
例えば、数学であれば計算練習。スポーツであれば、筋力トレーニングなど。
「足し算を1,000回やれ!」なんて言われても全くやる気が起こりません。
でも、厄介なことに基礎ができないと、その先がつまらなくなってしまいます。
計算ができなければ、数学の問題を全然解けません。数学を面白く感じることはありません。本当は数学は面白いのに・・・
基礎ができないとつまらない
数学に限らず、基礎ができないと何事もつまらなくなってしまいます。
例えば、サッカー。基礎体力がなければすぐにへばってしまいます。全然面白くありません。
他にも例えば、読書。漢字が読めなければ、書いてある内容を理解できません。面白いと感じることはありません。
「つまらない」と感じるときは・・・
逆に考えると、「つまらない」と感じるときは基礎ができていない可能性があります。
例えば、年配者達は若い人達の話題を「つまらなく」感じることがあります。でも、それは情報量が少ない(基礎ができていない)から。
若い人達も年配者達の話題を「つまらなく」感じることがあります。理由は同じ。
「つまらない!」と言うのは、「自分は未熟です!」と宣言しているようなものです。
でも、「基礎自体」がつまらない・・・
でも、「基礎自体」がつまらないんですよね・・・。
年配者も「若い人達の情報」をどんどん吸収していけば、若い人達の話題を面白く感じるようになります。
でも、そもそも「若い人達の話題」に興味を持てない。そこに触れること自体が苦痛。
結局はそこでストップしてしまい、壁が出来てしまいます。
基礎がつまらない
→ 基礎をやらない
→ 全体がつまらなくなる
という悪循環。
悪循環を断ち切るには「基礎」を頑張るしかない!
この悪循環を断ち切るためには「基礎」を頑張るしかありません。
ところがどっこい、基礎がつまらない。
基礎は「強制的に」やるしかありません。
監督者を見つけるべし
つまらないことを自分の意志でやるのは簡単ではありません。
おススメなのは監督者を見つけること。親、友達、先生など。
自分だけでやる場合には・・・
自分だけでやる場合にはそれなりに工夫が必要です。
人間はラクな方へ逃げてしまう習性があります。頑張って始めても三日坊主で終わってしまうかもしれません。(そもそも、始めることが難しい。)
おススメなのは「ルールを1つだけ」決めて守り続けること。
例えば、「計算問題を必ず1日100問やる」「英単語を必ず1日30個覚える」など。
多くのことに手をつけると挫折しやすくなります。
「1つだけ」に絞ることをおススメします。
基礎ができると面白さに気付けるようになる
基礎は面白くありません。
ですが、不思議なもので基礎ができると「面白さ」に気付くことができます。
例えば、時代劇なんて日本史の知識がなければ何にも面白くありません。
織田信長が出てきても「誰やねん」って感じです。チャンネルをすぐに変えてしまいます。
でも、ある程度の知識があると、「織田信長ってこんな人だったんだ」など、作品をより深く楽しめるようになります。
基礎を苦痛に感じないときは「天職」かも
基礎を苦痛に感じないとき。それは「天職」の可能性があります。
例えば、ピアノを何時間練習していても苦痛でないのであれば、「ピアノ演奏者」が天職かもしれません。
他にも例えば、筋トレを毎日してても苦痛でなければ、「ボディービルダー」が天職かもしれません。
多くの人は基礎をやりたがりません。ですが、その基礎を自ら進んでできるということは、他の人とは違うということ。
やっていて楽しいうえに、実力がどんどん伸びていく。上を目指すことができる。まさに天職。
油断は禁物
ただし、油断は禁物です。
「基礎を面白い」と感じるのは、自分一人だけではありません。少なからず同じような人がいる。つまり、ライバルがいる。
自分もぐんぐん伸びていきますが、他の人達もぐんぐん伸びていきます。高いレベルの過酷な争いになります。「プロの世界」という言葉が相応しいかもしれません。
その高いレベルでも、なお「面白い!」と感じることができれば、それは間違いなく天職です。
いずれにしても「基礎」をやってみないとわからない
「つまらないものを面白いものに変える」
「天職を見つける」
いずれにしても「基礎」をやってみないとわかりません。
まずは基礎に手を付けることをおススメします。
自分だけではできそうにない場合は「監督者」を見つけることをおススメします。
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