叱って育てるべきか。それとも、褒めて育てるべきか。
叱って育てるべきか。それとも、褒めて育てるべきか。
- 叱って育てる
- 褒めて育てる
部下や子供を育てるとき、あなたはどちらを選択しているだろうか?
どちらも一長一短なので、どちらが正解というわけではない。
だが、「成長させる」という観点で考えたときに、効率的なのは「褒めて育てる」の方だ。
「叱って育てる」のは、実はかなり難しい。
教育に精通した人、もしくは、物凄いカリスマ性を持った人でなければ、なかなか上手くいかない。
もしも、あなたが叱られたら・・・?
あなた自身の経験に重ね合わせてみるとわかりやすいはずだ。
親や先生、上司などから「叱られて」モチベーションが上がったことがあるだろうか?
「うるさいな」
「うっとうしいな」
まず最初に思うことは、そんなことではないだろうか?
つまり、あなたが部下や子供を叱ったとき、相手にも同じように思われているのだ。
叱れば叱るほど、相手との距離がどんどん離れていく。
そのうち、あなたの話を聞いてくれなくなる。
聞いてくれたとしても、心底うんざりしている。
それでは部下や子供の成長を妨げているだけだ。邪魔な存在とさえ言える。
「叱って育てるのは非効率」
そんなことは、少し考えればわかることだ。だが、この方法を選択している人が実に多い。
「叱る」のは、相手を否定しているのと同じ
「叱る」のは、相手を否定しているのと同じだ。
叱るシチュエーションを思い浮かべてみて欲しい。
例えば、子供が宿題をやらない場合。
親や先生は
「なんで宿題をやらないんだ」
「宿題をやりなさい」
そのように子供を叱る。
だが、子供には子供の考えがある。
単純に宿題をやりたくないのかもしれないし、もっと遊びたいのかもしれない。体調が悪いのかもしれない。
少なくとも、宿題をやりたいとは思っていない。
つまり、「親や先生」と「子供」の間には隔たりがある。
それを「親や先生」は、強制的に自分の考え方に合わせようとする。
子供からしたら、自分の意見が通らない、つまり、自分を否定されたようなものだ。
これが「叱る」の本質だ。
「叱る」のは、相手を否定しているのと同じなのだ。
人は「否定」に対して本能的に反発する
人は「否定」に対して本能的に反発してしまう。
例えば、
「あなたの考え方は間違っている」
「あなたのやっていることは間違っている」
「あなたのことは好きではない」
こんなことを言われたら、どう思うだろうか?
少なくともこの人のことを好きになれないのではないだろうか?
心理学者のウィリアム・ジェイムズは
「人間の持つ性情のうちで最も強いものは、他人に認められることを渇望する気持ちである」
と述べている。(D・カーネギー「人を動かす」から引用)
他にも、「マズローの欲求五段階説」の1つに「承認欲求」というものがある。
つまり、人は「他人に認められたい」という願望を本能的に持っているのだ。
にもかかわらず、「叱る」という行為で、相手を「否定」しまう。
「認める」とは真逆の行為だ。
否定された側は全く面白くない。モチベーションが下がってしまう。
「叱って育てる」のは、愚行ともいえる。
もし、叱って育てたければ・・・
ただ、世の中には、叱っても上手く育てられる人がいる。
例えば、カリスマ的存在だ。
世の中には「カリスマ」と呼ばれる人がいる。
そして、その人のことを「カリスマ」と呼ぶ人は、その人の「信者」といえる。
教祖と信者。そんな関係だ。
このような関係性を築き上げることができれば、基本的には何を言っても従ってくれる。
「否定された」という感情を持つことはない。(思考停止状態ともいえるが・・・)
だが、このような関係性を築くのは容易ではない。
少なくとも「先生と生徒」や「上司と部下」では難しい。
「親と子供」ならできるかもしれないが、歪んだ関係性に感じてしまう。
叱っても上手く育てる方法は他にもある。
例えば、恐怖体制を創り上げてしまうことだ。
もし、従わなければ厳しい処分を下す。そんな状況であれば、黙って従ってくれる。
戦時中はおそらくこのような環境下だったと思われる。
そして、今もその流れが引き継がれているように感じる。
「叱って育てる」のが常識になっているのがその証拠だ。
いや、「なっていた」の方が正しいかもしれない。最近は「パワハラ」というキーワードを頻繁に聞くようになった。
社会全体は「叱って育てる」風土のままなのに、いざ叱るとパワハラで訴えられる。
先生や上司からしたら息苦しい世の中だ。
これらのように、もし、叱って育てたければ
「自分自身がカリスマ的存在になる」
「恐怖体制を創り上げる」
などの方法があるが、いずれも難易度が高い。とくに後者は、今の風潮からも厳しいだろう。
褒めて育てるべし
「叱って育てる」のはかなり分が悪い。
だったら、褒めて育てればいい。
というより、成長を促すためには「褒めた」方が断然効率が良い。
さきほど説明したように、人は「他人に認められたい」という欲求を持っている。
「褒める」とは「認める」ようなものだ。
褒められて嫌な気持ちになる人はいない。
褒められれば「もっと頑張ろう!」と思えるようになる。
例えば、テストで100点を取った子供は、親や先生から褒められる。
友達からも賞賛される。
「よし!次も頑張ろう!」
そう思えるようになる。次のテストに向けても前向きに勉強できるようになる。
では、テストで20点だった子供はどうだろうか?
平均点が50点だとすれば、いわゆる「赤点」だ。
今の教育では、残念ながら否定されることの方が多い。
だが、このような子供に対しても「叱る」のではなく、「褒める」べきなのだ。
取れなかった80点に注目するのではなく、取れた20点に注目すべきなのだ。
「こことここはできてるね。じゃあ、次はここを頑張ってみようか!」
そのように言われた方が、子供は前向きになれる。
だが、多くの先生や親は、
「全然ダメだ。もっと勉強しろ」
「なんでこんな問題が解けないんだ」
「ちゃんと勉強したのか」
そんなふうに言ってしまう。子供はどんどん勉強が嫌いになっていく。
たいていの場合、「叱る」よりも「褒めた」方が上手くいく。
だが、褒めるのは意外と難しい
「叱るよりも、褒めて育てた方がいい」
頭の中でそう思えたとしても、実行できるかどうかは別の話だ。
褒めるのは意外と難しい。
昨今のネット上のコメントなどが、それを如実に表している。
批判的なコメントもあるし、なかには、上から目線でコメントしている人もいる。
これらは自分の存在が上だと主張しようとする行為だ。最近の言葉を借りれば、マウントをとりたがる行為とでもいうべきだろうか。
これが人間の本能なのだ。
先述のように人は「他人に認められたい」という欲求がある。
人よりも上に立ちたいという欲求がある。
だが、「褒める」という行為は真逆なのだ。
相手が自分よりも上だと認めるようなものだ。
本能が拒否してしまう。
だから、なかなか相手を褒めることができない。
それどころか相手の欠点、自分よりも低いところを見つけて非難しようとする。
だが、悪口のない、褒めるだけの世の中が心地よいかと言われれば、そうではないだろう。
誰も悪口を言わずに、みんなが互いに褒めたたえ合っている。
想像するだけでちょっと寒気がする。
もし、そんな世の中であれば「戦争」なんて起こらないはずだ。
だが、戦争は延々と繰り返されているし、おそらく、これからの未来も続くだろう。
人を批判し、貶め合う状態の方が正常なのだ。人間の性だ。
つまり、相手を褒めるのは簡単ではない。「人間としての本能」に打ち勝たねばならない。
だからこそ、褒めることには価値がある
だからこそ、褒めることには価値がある。
「叱るよりも褒めた方がいい」
頭でそう理解していても、なかなかできないのだ。
例えば、あなた自身、今日何回褒められただろうか?
親や先生、上司や友達は、あなたのことを何回褒めてくれただろうか?
逆に、あなた自身、今日何回褒めただろうか?
あなたは、子供や生徒、部下や友達のことを何回褒めただろうか。
もし、「数えきれないほど褒めた」、そんな人がいれば、周りの人からの人気は絶大なものになっているだろう。
だが、残念ながら、自分自身を含め、褒める人はそんなにいない。
だからこそ、「褒めること」に価値がある。
みんながやらないことをやる。そこには大きな価値が生まれる。
いつも批判ばかりされている子供を、心の底から褒めたたえれば、その子供は満面の笑みを浮かべるはずだ。
あなたの言うことを聞いてくれるようになる。
なんでもかんでも褒めれば良いというわけではない
だが、なんでもかんでも褒めればいいというわけではない。逆効果になる場合もある。
例えば、少し太っている人に「ボディラインが綺麗ですね」なんて言おうものなら、相手はおそらくムッとするだろう。
痩せている人に対しても要注意だ。オジサンが若い女性に言おうものなら、セクハラだと訴えられるだろう。
お世辞も要注意だ。
お世辞とは、「相手の機嫌をとろうとしていう、口先だけの誉め言葉」だ。(「コトバンク」より引用)
ある意味、嘘だ。嘘はバレやすい。
だが、世の中にはお世辞を喜ぶ人が一定数いる。
つまり、嘘であっても喜ぶ人がいる。
このことは重要だ。
こちらが本心でどう思っていようと、相手が褒められて喜ぶことであれば、褒めてあげた方が良いということだ。
つまり、「相手を理解すること」が重要なのだ。
どんなことで喜ぶのか、どんなことでムッとするのか。
相手を褒めるためには、そこを見極める必要がある。
だが、やはりお世辞はおススメしない。
お世辞には「嘘」のニュアンスが含まれる。
演技力がなければ、嘘と見抜かれてしまうだろう。
見抜かれたら、逆に、怒りを買うことになる。(少なくとも私はお世辞を言わないようにしている。)
人を褒める秘訣
人を褒めるなら本心が一番だ。
「本当にすごい」
「本当に素晴らしい」
心からそう思えることであれば、相手も悪い気はしないだろう。
では、どうやって「相手の良い部分」を見つけるのか?
これはさほど難しくない。
人が2人いれば、全く同じということはあり得ない。
自分よりも相手の方が勝っている部分が必ずある。
その部分にフォーカスすればいい。
それに、視点を変えることで何事も長所に変わる。
例えば、「太っている人」は、「体力がある人」とも捉えることができる。
「字が汚い人」は、「個性的な人」とも捉えることができる。
「欠点」だと思い込んでいたものを、「長所」として褒められる。
褒められた人は、それだけで心が晴れるだろう。
このように褒めようと思えばいくらでも褒めることができる。
褒めるためには、日頃からのトレーニングが必要
ただ、先述のように、人は本能的に「褒める」ことを避けようとする。
自然と褒められるようになるためには、日頃からのトレーニングが必要だ。
おススメは、1日に最低1回は誰かを褒めることだ。
まずは身近な人がいいだろう。
例えば、家族。
なんでもいいから褒めてみて欲しい。
おそらく、相手はキョトンとするだろう。場合によっては不審がられるかもしれない。(夫婦間であれば不倫などを疑われるかもしれない。)
だが、相手の顔はほころぶはずだ。ポーカーフェイスを保とうとしても口元が緩むはずだ。
基本的には、誰でも褒められれば嬉しいのだ。
そして、「褒めたら相手が喜ぶ」、その快感を実際に体感すれば、おのずと相手を褒められるようになる。
もちろん、失敗することもあるのだが、失敗も収穫だ。
同じ轍を踏まなくなる。
トレーニングを続けていくうちに、「相手を喜ばせる」精度が上がっていく。
ときには「叱ること」も必要だけれど・・・
では、いつも褒めていればいいのかと言えば、そういうわけにはいかない。
例えば、子供が、車が来ているのに道路に飛び出してしまったときに、ニコニコと褒めるわけにはいかない。
このようなときはガツンと叱るべきだ。
それこそ子供がトラウマになるくらい、思いっきり叱るべきだ。
二度と同じ過ちを犯させないように。
命を落としてしまっては元も子もない。
だが、同時に自分も反省すべきだ。
本来であれば、叱る前に「道路に飛び出してはいけない」と徹底的に教え込んでおくべきだったのだ。
つまり、教育不足。親に責任がある。
このように、場合によっては、「叱る」必要がある。
だが、叱った時点で負けだ。
本来であれば、叱らなくていいように事前に教育しなければならない。
そのせいだろうか。叱っている人をみると滑稽に(不快に)見えてしまう。
自分にも責任があるのに、そのことをすっかり忘れて相手のせいだけにしているので。
そして、叱られた側は、その人のもとから離れていく。
叱る前に、徹底的に教育すべし
叱る前に、徹底的に教育すべきなのだ。
叱る状況が起こりうるのは、「自分のルール」と「相手のルール」がずれているときだ。
ならば、「自分のルール」に合わせるように、事前に相手を教育しなくてはならない。
だが、「他人のルール」に合わせることなんて誰も望まない。
「そのルールがなぜ必要なのか」を相手に納得させなくてはならない。
納得すれば、相手は「自分のルール」に合わせてくれるようになる。
先ほどの「道路に飛び出してしまう子供」の場合であれば、
「もし、事故に遭ったら、お父さんとお母さんにもう二度と会えなくなるよ。友達とも二度と遊べなくなるよ。それでもいいの?」
「絶対イヤだ」、子供はそう答えるはずだ。
「だったら、この白線の外に出ちゃダメだよ」
そのように言えば、子供は白線の外に出ないように心がける。
子供は別に悪気があって、道路に飛び出しているのはではない。
飛び出してはいけない理由が、いまいち理解できていないだけだ。
これらは子供に限った話ではない。大人も同じだ。
「叱る」ような状況に陥る場合、たいてい、相手側はルールの重要性をいまいち理解していない。
そこを教育するのは、ルールを守らせる側の義務だ。というより、教育しなければ、相手はルールを守ってくれないし、自分も相手もストレスが溜まるだけ。
まず、教育。それでダメなら「叱る」。そして、自分も反省する。
この流れを繰り返していけば、「叱る」回数は減っていくだろう。
「褒める」回数が増えていく。
まとめ
何度も繰り返すが、「叱った」時点で負けなのだ。
稀に「叱る」どころか「怒る」人もいるが、これは最悪だ。
怒った人が満足するだけだ。それによって相手が成長することはない。
- 「褒めて」育てること
- 「叱る」前に教育すること
- 教育する際は、相手を納得させること
この3つが重要だ。
この3つで、部下や子供は、今まで以上に成長していくだろう。
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